脱サラ美容師の頭の中

29歳で脱サラした転職女性の煩悩を綴ってみた。

令和参年仕事始め。

今晩は。

正月休みの間

鱈腹食って飲んで呑んでは喰ってを繰り返し

怠惰の極みを過ごしていたわたくし

重い重い身体を引きずって令和参年初仕事を無事に終えた

眼力強めの デザイナーSae で御座います恐れ入ります。(←?)

 

そんな私の今年の抱負。

去年から新年を迎えた日に書き初めをすることを決めております私。

あらよっと書してみましたが。。。↓

 

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令和参年 私の抱負。

 

これでも小さい頃書道を嗜んでおりました故

多少の筆の心得は有るのですが・・・

やはり書かないと年々腕が下がる一方で御座いますね。

恥ずかしや。

 

さて。

先日思い立ってブログを初投稿させて頂きました。

先日も申し上げた通り

自身の目標や目的の為

掲げる理想に少しでも近付けられるヒントを得られる様

アウトプットを目に見える形で残すという

かなり実験的な部分が多分にあるスタートを切っている訳で有りますが。

 

その中で先ず一つ、出来る限り行いたいのは

なるべく毎日更新しUPする事。

自分の体力が続く限り

可能な限り毎日更新していきたいと思っている所存です。

 

という訳で、

本日は私という個人の

所謂エッセイ的な

自分という人間が何処に生まれどの様に育ちどの様に考えどの様に生きてきたのか

熟々と綴っていこうかなと思います。

勿論一度に全て記載するのは難しいので

何回か、いやむしろ何十回かに分けて(マジか)

ゆっくり書き記していこうかと思います。

 

誤字脱字間違いや意味違いな文章も多く見受けられるかも知れませんが

拝見なさってる皆々様には

ごゆるりとご鑑賞頂ければと。

 

1985年10月1日

埼玉県北葛飾郡松伏町という

最早"○○市"ではなく"△△町"というド田舎に生を受けました私。

ただ自慢じゃないですが出身地はかの有名なプロゴルファー

石川遼』選手と一緒なんですけどね。(ドヤッ)(←?)

 

一つ上に双子の姉がおりまして、

この姉達がまぁ聞くところによると泣くは喚くは(そらそうだ)でとてつもなく手の掛かる双子だったらしく

家族計画を全く度外視して産まれた私

どういう訳かその頃から聞き分けが良かったのかそれとも既に空気を読むという行為を先天的に持ち合わせていたのか

全く手の掛からない、夜泣きも愚図りも殆どしないそれはそれは大人しい赤子だったそうで

『こいつずげー手が掛かんなくて大丈夫そうだからとりま親戚にちょっと預けておいても何かヨユーそうじゃね?』的なオカンの判断で

私は産まれて直ぐ母方の親戚に預けられ、暫くそこで面倒を見て貰っていたそうです。

故に小さい時に食べさせられた食事が結構適当っていうのもアレなんですけど

食の好みがまーーー姉達と真逆になりまして。

そら同じ釜の飯を私だけ食べて居なかった訳ですから

食が違うのは必然な訳ですよね(しみじみ)

 

そして後に気付いたんですが

私、自分の記憶が小学校に進学してからしか無いんですよね。

幼少期の記憶って、どうなんでしょうか、

普通は何歳頃から有るのか、そういう事を余り考えた事も比べた事も無いのですけれど

大体早い子で3~5歳位の頃から有るんでしょうかね?

良く分からないんですけど

決して悲観してる訳でもなくて、どちらかというと客観的に分析してる感覚に近いと言いますか、

なので自分が特別だとかとても可哀想な子だとか

そうい事を申し上げてるつもりでは全くなく。

ただ人って本当にショックな事が有ると

自分という存在を守るために記憶が曖昧になったり

引き出しの奥底にしまって忘れようとするらしいと以前聞いた事を思い出して

もしかしたら小学生になる以前に何か自分にとって大きな出来事が有って

その時に何か大事なモノも一緒に置き忘れてしまった

引き出しの中に閉じ込めてしまった

大人になった今ではそう思えてならないんですよね。

 

まぁ、だからといって過去を穿り返す気は更々御座いませんし

でもこんな風に文字に書き起こすことで

少し整理していけたら良いなと思っている次第で有ります。

 

なので、小学生に上がる以前の記憶が全く無い私は

その頃の事を思い返せないので

次のブログから、小学時代の自分を振り返ってみたいと思います。

 

それでは皆々様、良い夢を。

 

今宵のお酒のあてはこちら。↓

 

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寒ブリとサーモンのお刺身盛り合わせ